娘を出産してから思い始めたこと
私は看護師として勤務していた。
大阪の大学病院の手術室勤務がスタートで、転職もしたがずっと手術室の所属だった。
色んな命の現場を目の当たりにした。ドラマなんかでは描けない壮絶な場面もあった。
そして、31歳で結婚し、32歳の時に娘を出産した。足かけ3日もかかる難産だった。
育児休暇中、娘の寝顔を見ながらふと思ったことがある。
「もし、自分が何かの病気にかかっても私はこの家の中で最期の時間を過ごしたい」と。
娘がハイハイしながらターミナル期の私の布団にゴロンと転がってこれるのは自宅しかないと。
家族が家族らしく、私も心落ち着いて過ごせるのはここしかないなと思っていた。
それは病院の中で「あんな最期はイヤだ!」と感じる場面を数々見てきたから。
「でも、そんなこと思っても現実には難しいのかも。訪問医や訪問看護の方だけじゃ、家族に迷惑かけるな…」と。
そんな時、ある記事を目にしたことで、直感的に「私が必要としてる人はこれだ!」と思い、まずはその仕事を知る為に自分が学びたいと思った。それは2018年の春のことだった。
その時、読んだ記事に関してはまた次回。
大阪の大学病院の手術室勤務がスタートで、転職もしたがずっと手術室の所属だった。
色んな命の現場を目の当たりにした。ドラマなんかでは描けない壮絶な場面もあった。
そして、31歳で結婚し、32歳の時に娘を出産した。足かけ3日もかかる難産だった。
育児休暇中、娘の寝顔を見ながらふと思ったことがある。
「もし、自分が何かの病気にかかっても私はこの家の中で最期の時間を過ごしたい」と。
娘がハイハイしながらターミナル期の私の布団にゴロンと転がってこれるのは自宅しかないと。
家族が家族らしく、私も心落ち着いて過ごせるのはここしかないなと思っていた。
それは病院の中で「あんな最期はイヤだ!」と感じる場面を数々見てきたから。
「でも、そんなこと思っても現実には難しいのかも。訪問医や訪問看護の方だけじゃ、家族に迷惑かけるな…」と。
そんな時、ある記事を目にしたことで、直感的に「私が必要としてる人はこれだ!」と思い、まずはその仕事を知る為に自分が学びたいと思った。それは2018年の春のことだった。
その時、読んだ記事に関してはまた次回。